このブログでは時々ですが、自分が気に入っている曲などのを一部をジャンルを問わず個人的な見解で音楽解説、という形で紹介できればと思っています。少し難しい内容となっていますが、曲の深みを楽しめると思うので音楽を聴きながら是非読んでみてください。
第2回目の今日は日本の結婚式でおなじみの、メンデルスゾーン(Mendelssohn)作曲の『結婚行進曲』について少し解説したいと思います。
この結婚行進曲は、シェイクスピアの戯曲が元になっている「夏の夜の夢」という、12曲からなるオーケストラのための劇付随音楽の9番目にあたる曲です。実はメンデルスゾーンは17歳の時に同題材で序曲の作曲をしていて、そちらのオーケストレーションも実に秀逸でアイディアに溢れています。自分が楽譜を手にしたのが20歳くらいの時だったので「こんなに若くして!」と当時は衝撃を受けたのをよく覚えています。日本では多くの方が今日では結婚式で使うようになり、幸せ、祝福などの明るいイメージをお持ちですが、それとは違った実際の音楽的な見方をお伝えしようと思います。
・メロディーの開始に向けての期待感の演出
さて、結婚行進曲に話しを戻しましょう。以上の楽譜にあるように、この曲はド・ミ・ソで構成されるC majorの明るい和音を使って、ド・ミ・ソの順に構成音が増えていくように展開しています。単音から完全な和音に段々となっていく様子というのは、気持ちを高めていくのに非常に有効ですし、majorの明るい三和音なので結婚への期待が膨らんでいくという雰囲気が演出されています。
またメロディーが始まる5小節からのリズムとは異なる、3連符というリズムが4小節までに使われていることも、これから始まるであろうメロディーへの期待感を演出しています。
・A minorのテンション和音でメロディーが始まる
最初の4小節の演出で盛り上がってきた雰囲気、きっと聴き手は結婚をイメージしながら明るく華やかなメロディーに期待を馳せるでしょう。しかし、この5小節目の最初の和音、C majorの和音ではなく、ラ・ド・ミをベースとしたA minor、短調の暗い和音になっています。聞き慣れてしまっている人も多いと思いますが、よく聞くとこれは大きく期待を裏切られた格好になっています。
A minorで始まった後には、B majorの和音などを経由してG7(ソ・シ・レ・ファ)そして8小節目のC majorへと解決していきます。ドミナントモーションといってGの和音はC majorの調では必ずC majorの和音に解決するのでここは通常通りですね。
※ドミナントモーションとは = ドから始まるC majorの調の音楽でいうと、5度の和音でG major(ソ・シ・レ)から1度の和音のC majorに解決するというもの。G majorのシの音がC majorのドと半音の関係で、そこに大きな解決感が生まれるなどの理由があります。起立、気をつけ、礼の和音で馴染みがある人も多いでしょう。
しかしなぜ結婚式のめでたい曲なのに、A minorの短調の和音でメロディーが始まるのでしょうか?しかもファ♯まで入ってテンション和音(第一回参照)になっています。
・EmのドミナントモーションとA minorのテンション和音の理由
これについてはもう一つブログが書けるくらい話が発展してしまうので、簡単に説明したいと思います。この二つ目の和音B majorからE minorという進行があるのですが、これらはいずれもC majorの調の和音ではなく、一時転調という状態にあります。E minorにとってB majorというのは5度の関係にあたり、先に説明したドミナントモーションとなっています。本来転調というものは調を変えるので違和感を感じるもののはずです。ここでは最初のA minorの和音にファの♯を入れることで、ファの♯を含むE minorとB majorの和音への一時転調をスムーズにしています。逆に、最初のA minorの和音にファの♯という大きなインパクトを与えることで、その後の一時転調のインパクトを軽減しているともとれます。最初の和音というのもポイントです。まるで一つの事件を、より大きな複雑な事件を最初に起こすことで気づきにくくしているという印象すらあります。
・物語の背景とA minorのテンション和音の理由
1. 結婚が望まれたものではなかった
まず1の理由ですが、シェイクスピアの「夏の夜の夢」の内容は男女4人の4角関係がもつれた後、相愛な2組のカップルが誕生、結婚するというハッピーエンドなストーリーです。しかし、これは実は第3者により惚れ薬が使われたことによるもので、この結婚式で行進している新郎新婦というのは、惚れ薬により”つくられた”ものであるとも言えるでしょう。
2. 演出技法による問題
次に、この話にはデウス・エクス・マキナという演出技法が使われていることが挙げられます。これは劇の内容がもつれて、解決困難な状態になったものを、一つの事象で解決させて物語を終わらせていくというものです。この話の場合は惚れ薬という事象を投じることで、解決に導いているのですが、この手法自体は古代ギリシア時代より演出技法としては好ましくない解決とされることが多く、そのマイナス要素がminorや不安感として現れたのかもしれません。
3. 全て夢だった
最後に考えられるのは、この結婚を含めた「夏の夜の夢」自体が「夢」であった、ということです。この話の舞台にはこんな台詞があります。
「我ら役者は影法師
皆様方のお目がもし
お気にめさずはただ夢を
見たと思ってお許しを」
これは劇が終わった後に惚れ薬をかけた妖精がひとり舞台に残って語るエピローグです。この話の中の全てが夢の世界だったのなら、予測のつかない不協和音を使うのも辻褄が合うでしょう。
メンデルスゾーンが実際にどんな意図を持ってこの和音を使ったのかは本人に聞かなければ分かりません。しかし、このように1つの和音からその背景を想像するのも音楽の楽しみの1つなのではないでしょうか。興味のある方は是非序曲なども含め、全曲を聴いてみると色々な発見があると思うので聴いてみてください。
次回はクラシック以前の西洋音楽、ルネサンス音楽から一曲紹介したいと思います。